「死にたい」・「殺したい」が、「死ぬしかない」・「殺すしかない」に変わる前に。なんとかしなきゃ…。

「死にたい」・「殺したい」

一度でもこんなことを考えた人は、

この世界にどれくらいいるだろう。

何十万? 何千万?? 何十億???

調査したわけではないから、実際どれくらいいるのかわからない。

けれど、

たとえ本心ではなくても、

口にしたことがある人は少なくないと思う。

私自身、カットなって友人に言ってしまったことがある。

「死ねよ」・「殺してやる」…と。


「死にたい」・「殺したい」というのは、願望である。

つまり、選択肢が決まっているわけではない。

「死ねよ」・「殺してやる」もまた同じだ。

ただの願望または欲望にすぎない。

私は、何らかの事件あるいは問題の被害者または加害者が、上記のように述べている間は、まだ話し合いができる段階だと考える。

相手の話を聞いて、

妥協点と、絶対に譲れない部分を見つけ、

どうしたらいいか、一緒に考える。


言い換えると、

上記のように述べている間しか、

話し合いができないのだ。

「死にたい」・「殺したい」の気持ちが、

「死ぬしかない」・「殺すしかない」に変わると、

選択肢が限られてくる。

死ぬこと・殺すこと以外の道を探せなくなる。

そうなる前に、

被害者または加害者は、

誰かに相談したい。


ところが、

いざ相談しようと思っても、

いったい誰に話せばいいのか。

不安と恐怖で、

誰にも相談できないまま死んでいく人。罪を犯してしまう人。

彼らは、

ただ、居場所がほしい。

自分の個性を出せる場所。

想いを伝えられる場所。

信頼できる人がいる場所。


今の世の中は、

法律や治安ばかりよくするだけで、

彼らの居場所をどんどん小さくしている。

私の個人的な意見に過ぎないのだが…。


何が言いたいのかわからなくなってきたので、

結局一番伝えたかったことを述べることにする。

要は、

居場所のない生物は、

決して生きることができないのだ。

生きるために、

野性動物は、縄張りを作り、居場所を保つし、

人間なら、居心地のいいグループを見つけ、そこで1日の大半を過ごす。

それが、今の世の中の摂理となっている。

よって、これ以上、多くの事件や問題による犠牲者を、出さないためには、

誰でも気軽に相談できる、居場所のない人たちにとっての一種のホームのような存在になる施設または空間を作ることだと思う。


あくまで、知識のないド素人の意見なので、

軽く流す程度でいいが、

一度、真剣に、自分なりに答えを出してほしい。

この、事件や犯罪・その他多くの問題で汚れ腐った世の中から抜け出す方法を。

被害者も、加害者も、

これ以上、大切な命を失わないために。